相手に意見を求めること。
相手に決めてもらうこと。
失敗することを恐れ他人に責任を押し付けてる。
いつの間にか、自分自身の生き方であっても他人に左右されてないでしょうか。
今回、私が自分自身を見つめなおすきっかけとなった考え方を紹介します。
1.責任の所在
責任が伴わないことは、自分自身のことであってもどこか他人事になります。
たとえば、仕事であれば
お金を払い責任を負わせること
お金を受け取り責任を負うこと
お金の受け渡しが発生することで責任の所在がはっきりします。
無料でのやりとりでは、だいたいが責任の所在がはっきりしなく曖昧で他人事となってしまうことがあります。
2.失敗を恐れる
相手が何かした時の責任は相手であり自分は関係ない。
自分以外を責める先を考えて保身的になってしまっている事は気が使にうちにやっていることもあります。
自分の考えや想いと違う結果が出てしまうことを恐れて避けていませんか。
失敗はしませんが、成功もしません。残っているのは失敗を恐れ続ける弱い自分です。
やったこないから、知らないからとできない理由を考え思考停止してしまっています。
自分でチャンスを捨ててしまってる。もしくは、チャンスとすら認識すらできていないこともあるでしょう。
3.自分自身への制約
物事に執着することで、自分自身に制約をかけてしまうことがあります。
過去の出来事に後悔し、自分自身を批判したり否定したりしていると
いつの間にか矛先が他人に向いて他人を責めている事もあるでしょう。
そして他人を責めている自分に気が付き自己嫌悪する負のスパイラルになっています。
4.心に余裕を持つ
弱い自分、嫌いな自分を受け入れたとき、新たなスタートを切ることができます。
しかし、心の余裕がなくては、自分を受け入れることができません。
そのため、客観的に自分を見つめなおす一人の時間を設けてみてはいかがでしょうか。
(私のお勧めは、朝散歩する習慣をもつことです。別記事:朝の散歩を「習慣」にしたことでの変化)
私は「今こう考えているんだな」、私は「こう感じているんだな」と客観的にとらえます。
一人称で見ている視界と、三人称で見ている視界では見え方が違います。
自分の心がどこにあり、どこに向かっているのか。
心に形はありませんので、できるだけ具体的にイメージしてみてはいかがでしょうか。
例えば・・・・
あなたは、大事なピアノ演奏や演劇、スピーチなどの発表会の舞台にいます。
とても緊張しており手が震えて声もうまく出しずらい状況です。
そんな時に、緊張してはだめだと思っても緊張はなくなりません。
しかし、今の心を客観的にイメージしてみると、あなたの心は緊張している自分自身に向いていることに気が付きます。
あなたがこの場でやることは、貴重な時間を使ってあなたの所に来てくれた人たちのため最善を尽くすこです。
緊張はなくなりませんが、あなたの心がどこに向いているか考え、
今あなたがしなくてはいけないことが何か客観的にとらえてみましょう。
最後に
嫌なことも辛い事も
楽しい事や、うれしい事やも人からもたらされます。
周りの人からあなたはどのような言葉が欲しいですか。
あなたの人生が終わった後、人々から語られる言葉があなたの物語です。
いつの間にか村人Aになり、他の物語の主人公のわき役にあなたはなっていませんか。
物語の主人公は、成長を重ねて大きなことを成し遂げます。
10年後あなたはどのような事をしてますか。
あなたが主体的にやりたいことを見つけた時、
もう周りの人や環境のせいにすることなく自分の責任として自然と受け止めて行動できていることでしょう。